勉強する意味ってなに?
Column
勉強する意味ってなに?
この疑問はおそらく多くの学生さんが一度は抱いたことのある素朴な疑問ではないでしょうか? すでに成人し社会人として働く大人たちでさえも、学生時代に一度は考えたことがあるはずです。あなたたちの親御さんでさえも例外ではありません。 しかし、多くの場合その質問があなたたちの口から発せられるとき、大人たちはこう言います。「あなたたちの将来のため」「勉強しておくに越したことはない」と。 それらは模範解答であり、納得はできないまでもそれ以上の反論や質問は許されないような気がして、「そんなものか」と折り合いをつけ勉学に励む人や、言いくるめられたような気がして悶々としたまま、あまり勉強に身が入らないという人もいることでしょう。
素朴な疑問の芽は摘まないで
「勉強する意味ってなに?」と疑問を持つことそれ自体はとても良い姿勢ですし、疑問に思ったことを臆せず発言して理解しようとすることは、価値観が多様化している現代においても、とても大事なことです。 質問をしたときに返ってきた答えに納得がいかなければ、それはあなたの知的好奇心を刺激し、満たしてくれる「解答」ではなかっただけであり、決してあなたがおかしい訳でも間違っているわけでもありません。 本当は大人たちでさえ漠然としかわかっていないのかもしれません。彼らはあなたたちにはない「経験」や「年齢」を重ねたことで、体感的に理解はしているのかもしれませんが、それを言語化して子供にわかりやすく伝える、という能力までは養われていない大人だっただけ、ということもあります。
たくさんの大人の意見を訊いてみる
大いに悩んでください。勉強はなにも机の上で教科書を開いて学ぶことだけを指すものではありません。 そして、自分の周りにいる多くの大人に訊いてみてください。ほとんどの場合がその解答が似たり寄ったりで、質問に上手く答えられない人が多いかもしれません。ですが、そういう大人が多いからといって、大人全員がそうだと思わないで下さい。必ず一人は、周囲の大人たちとは少し違う視点やヒントを与えてくれる大人がいるはずです。いえ、それは必ずしも大人ではないかもしれません。同世代の人たちの中にも、そうした疑問を持ち、自ら考えた答えを持っている人もいるかもしれません。 そして、そうした人たちの意見でさえ、「絶対」ではありません。彼らが出した答えもまた、ひとつの「考え」であり、あなたの可能性を広げる一つの視点だと思ってください。
一緒に悩んでくれる大人と出会う
私から言えることは、「この人なら、はぐらかさず、質問に答えてくれる」という大人を、一人でもいいので見つけてください。少しでも尋ねた人の解答に疑問を覚えるのであれば、それ以上深追いはせず、自然と距離をとって、また別の大人に質問をしてみてください。信用できる人は必ずしも親である必要はありません。学校や塾の先生であるかもしれませんし、一見しがない大人であるかもしれません。あるいは身近な大人ではなく、遠いところにいる雲の上のような存在の人かもしれませんし、もしかすると存命ではないかもしれません。 それでいいのです。あなたはその人に少しでも近づきたいと思うかもしれません。自分の疑問に真摯に向き合ってくれたその人に。そのためには「勉強する」必要が出てくるかもしれません。 このように「学び」とは本来、そうした憧れの人に近づくための手段なのかもしれません。